どうモメンです。
経理というのは【考え続ける】仕事なんだなと最近思いました。
AIが仕事を全てやってくれたら経理は【考える】ことから解放されるのかというと、そうではないことが分かったからです。
経理は【考える】ことから解放されたいはずだが、それは無理そう
AI時代では、当面は経理の仕事はAIが作った財務諸表が合っているいるかどうか検証する仕事ということになろうかと思います。
AIが代替できる経理処理というのは、「論点・争点になる余地が無いほど単純な分野の処理」のみでしょう。会計処理というのは、すべてに「原則」や「例外」の処理があり、そのどちらで会計処理を行ったとしても、結果の数字がそれぞれ違っても、どちらも正しく真実を反映した会計です。
どちらの処理を採用するかどうかは、「原価計算の正確性を大事にする工場経理の人」、「経営者」、「顧問税理士」、「営業」、「経理」など様々で利害関係が対立を調整しながら、(経理を理解している)神に近い存在(社内で影響力が最も強い人)が最終決定するわけです。
しかし、この最終決定作業こそ、経理にとっては一番厄介で面倒で誰かに丸投げしたい作業です。経理にとっては、「単純作業だけをいつもやっていたい、そういう風にAIがしてくれるほうが幸せだ」と思う人も多いと思います。
私も、そこまで単純作業や繰り返しの作業はあまり好きではない方ですが、たまには単純な作業に没頭していたいと思います。「何も考えず電卓を叩いて合計するだけの作業」なんてパチンコと同じようなものです。
でも実際には逆です。こういう「誰でもできる仕事は無くす」がAIの役割になり、その分人間は「どう余剰価値をどう相対的に増やすか」を追求させられ、またそれを可能にする速度を、限界ギリギリあるいは限界を超えて加速させられていくようになっていくのがAIだと、今ははっきり分かるんです。
200年前に、蒸気機関者が発明されて「世の中付いていけない」と嘆いていたゲーテ
彼はこう言ってました。「全てが極端な時代になった。富と迅速さが世界で賞賛され、人間はそれにかき回されるだけになった。これが普遍化の結果だ」
私はこれを知った時、ついこう思いました。
蒸気機関車ぐらいで絶望してたら、「テレワーク」なんて・・・
テレワークは、最初は「これ『どこでもドア』じゃないか!」と、思いました。テレワークが人類のイノベーションの最終到達地点だと、確信していたのです。
しかし、テレワークは実際には「職場に辿り着くまでの物理時間短縮イノベーションの最終到達点」に過ぎなかったのです。
その先にはまだ「(事務職の)仕事の量の拡大イノベーションの最終到達地点」という領域が残されていました。
給料が増えない中で事務職は「仕事の食い尽くし」が始まる
AIの登場により事務職の仕事の量の拡大は留まるところを知らず、一人の人間が5倍10倍の量の仕事ができるようになると仕事の食い尽くしが起きるのではないかと思います。
より優秀な社員になるために、他人の仕事を食い尽くしていくのです。全てのリソースをDXにささげたとある社員が、「朝飯前」に自部門の仕事を食い尽くし、「朝飯前」に他部門の仕事までも同じプロセスで食い尽くすことで成果を独り占めする現象が起きます。そしてそれを真似した他部門の人間もまた同じことを繰り返し、初期にうまくコツを掴んだ集団が社内において成果を「総取り」する可能性があります。
経営者は「頑張った人は評価する、みんな本人なりに頑張ってる」と、過程と結果をなるべくフェアにしようとはじめは尽くしますが次第に極端な成果を上げる人たちから不満が出てそちらを優遇するようになり相対的に成果を上げられない人たちが「やってられるか」と会社に不満を抱いては去っていき、人数は減っていくものの余剰人員が減ってちょうどよくなり、しかしてこのプロセスが繰り返されることによって、世の中的に人手の需要と供給は次第に極端にアンバランスになっていくことでしょう。
そこで何が起きるか・・・
「革命」が起きる?
過去の歴史を見ていると、そうなるかもしれません。
打ちこわし、一揆、米騒動、革命、
AIはその革命の先までは、現時点では示していないように思われます。
私の予想では、その先は「あんまり働かなくていい未来」が待っていると思います。人類がこの200年で大きく失った夢を取り戻す時代が来ます。
さらにいうとこの動きはあと30年以内に起こりるとズバリ予想します。
何の根拠もありませんがね。そこまでは資本主義は存続できるということです。残念ながら私はもうその時は仕事の第一線を離れていることでしょう。