どうモメンです。
最近ストレスのたまる出来事がありました。
中途で採用された若手社員が、会社の業務上でやりづらさ抱えて行き詰っていることに対してのその上司(シラケ世代)の反応です。
「淡々と言われたことをこなすだけでいいよ。どうせこの会社では誰も理解しないし無駄」
リアルに「転職するならDoda」のキャッチコピーが頭の中に流れました。
まぁこういうことを言うのは上司の口癖ではあるのですが、
「考えるだけ無駄」
「別にそれが仕事で何の役にも立たない」
「考えてもストレスが増えるだけ」
聞くたびに、唖然としますね。または、ぞっとします。
どうにもこの上司だけではなくこの世代の人々の一部は、こういう発言が異様に多くて、グーグルで気になって調べてみましたら、
「シラケ世代」なるものがあるということが分かりました。
◆シラケ世代
本誌1976年版収録。以下、現代の若者を評して「シラケ世代」ということがある。やけっばちのようでいて変にさめている、世の中なんてどうせこんなもの、あがいたとてどうにもなりはしないと冷やかに跳めている、したがってその行動は他人から見るとだらけて見える。
(月間基礎知識)
https://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200302/topics01/topic01_07.html
何やら今の若者でもあてはまりそうだなと思いきや、やはりちょっと違うと思うんです。
今の若者は社会問題意識が高い勢力が必ず一定割合がおり、残りの勢力は、良くも悪くも彼らの足をわざわざ引っ張ってあざけるような反応をすることはない程度には、まとまりがあります。何事も当事者意識を持ち、「頑張ってる人を貶すようなことはしない」という思慮分別はあります。
しかし社会に出るとどうでしょう、謙虚になる機会を与えられなかった【シラケ世代】が、今や、日本の病理そのものになっているような気がしてしまうのです。
若手や、中堅社員が意見提言したことに対して、一切聞く耳を持たず、「世の中や会社を良くしようとする考えの全ては無駄、自分の経験してきた社会人経験こそが世の中の正義」といわんばかりに、学ぶことをいっさいせずに「過去の実体験話」だけで、問題解決を図ろうとするのです。
当然、「勉強や正しい知識、世間に学ぶ」という概念さえ欠落していますから、問題が解決されることは永遠にありません。さらに、それを自分の問題と捉えて内省することも決してありません。挙句に、常に誰かの悪口を言うことが正義になってしまうというありさまです。
そんな人とどれだけ話していても無駄なんだなと思うと同時に、「そうやって世の中に【無関心・無気力・無責任】を広げても、世の中が良くなることって絶対も無いんだろうな」と思います。
私は社会人数年目ぐらいにしてこの種のストレスと付き合うスキルを習得しました。
簡単にいうと「心の中にシェルターを持つ」ということです。「だがその考えは絶対に間違っている」という意思を固く持ったまま、どんな理不尽な現実も、適当にやり過ごすという方法です。
またこの種の人が近くにいたら、できるだけ物理的に遠ざかることが有効です。極力、視界にも入れないようにしましょう。
会話も必要最低限で短く済ますのがコツです。
それにしても、とやはり疑問に感じてしまいます。
少し、いやあまりにも、傲慢が過ぎやしないか?と。どんな生き方をしたら良い年をした人たちがあんな考えになるのか私には到底理解ができません。ともすれば犯罪者加害者と隣り合わせになってしまうぐらい退廃的な考え方だと思います。今風に言えばパワハラ気質ということにもなるのでしょうが、「別に殴ったり声を荒げて罵倒したりするわけじゃないんだから」と言われてしまうかもしれませんが、それにしても・・・
仮にもし「シラケ世代」という価値観を善しとして人生の大半を過ごしてきた人が多数いてそれが日本の支配者層の多数になってしまったのなら・・・と思うと、やはりぞっとしてしまいます。
救いがあるとすればやはり若い世代は少し価値観が変わっている部分があるということでしょう。
会社にいるシラケ世代のうち悪影響がありそうな人を手っ取り早く見分けて接触を避ける方法
これにはズバり、簡単な方法があります。
「パソコンの使い方を、覚えようとするかどうか」
これです。
ただ今ではもうさすがにパソコンの使い方が分からない、覚えようとしない人はいないのかもしれません。
ただし、ここからさらに踏み込んで、さらに簡単な今風の見分け方があります。
「zoomの使い方を、覚えようとするか」
ズバリこれです。
シラケ世代のうちの、とくに傲慢な部類の人々は、とにかく学ぶことができないためzoomの使い方を、自ら学ぶということはありません。
自ら学ばない場合は、若手社員に使い方を聞くことがあるでしょうが、ここからが問題なのです。
とりあえず使い方を一通り教えるのですが、そこで「覚えようとする人」と「覚えようとさえしない人」に分かれます。
zoomの使い方を覚えようとしない傲慢なシラケ世代の言い分はこうです。
「しょうもないことを覚えさせられてたまるか」
後日こんな話を、IT業界にいる知人にしましたところ、「そんな奴うちの会社ならクビだ」
私も到底理解はできませんがなぜzoomの使い方を覚えないことを開き直るほどにこの人が傲慢なのかというと、「当事者意識がゼロ」だからです。「zoomは会社や相手が要請したからやっていることであって、パソコンを立ち上げてzoomをセッティングするのは自分の仕事ではなく、分かる奴がやればいいだけの話で自分は相手とミーティングするのが仕事だ」という考え方なのです。
これをzoomではなくパソコンやメールが対象であっても同じ考えになるようなのです。
「メールを受け取ったり文章を書いて送信したりするのは部下の仕事。メールに書く内容を部下に指示をするのが上司の仕事」
という理屈で、メールを書く作業さえ部下にやらせる上司がかつてはいたと聞いたことがあります。
パソコンが出てまもなかった頃は、「パソコンの使い方を学ぶのは上司の仕事ではない。上司が自分の仕事をするためにパソコン操作を全て部下が代わりにやるのが部下の仕事」というレベルになってその傲慢さによりパソコンを使えないことを正当化する人もいたことでしょう。
これらの言い分に共通しているのは「当事者意識がない=自分がそれをやらないといけないという責任感がない=そもそも興味も関心もない」
つまりは「無気力・無関心・無責任」が根底にありながら本人がそれに気づくことができないという問題があるのだと思います。
「どうせ俺はシラケ世代だから。世の中が悪いんだからみんなこうなってもしかたない」と開き直られたら
困ったものですよね。
「お前が真っ先に失せろ」と言いたいところですが
せめて自分が歳を取って有害老人にはならないように、気を付けたいと思います。
大事なことは、学ぶことへの謙虚さだけは忘れないことだと思います。
それからシラケ世代のまま有害老人になってしまった人に何を言っても無駄ですから、できるだけ関わらないようにしましょう。