どうモメンです。
台風や残暑厳しい8月末ですが、あきらかに日が短くなってきてて、朝晩の空気に触れていると秋の匂いが鼻に抜けていくのが分かります。
匂いというのは人間の体にとっては凄いものでヒトゲノムには約800種類のGタンパク質共役受容体コードがあるのですが解析されているうち半数は「におい」の受容体とされています。
またプルースト効果というものもありまして匂いを嗅ぐことで記憶がよみがえる現象がありますね。まだ解明されていない部分も多いようですが。
私が秋の匂いを感じた時、思い出すのは子供の頃の学校生活の「憂鬱」です。遠い昔ですが、不登校だったころのことを少し思い出します。
「全ての人が気楽に生きていける社会」の価値が重んじられる時代
不登校にも様々なきっかけはあるのでしょうが、私の場合はたまたま「運悪く」クラスに馴染めなかったというごくありきたりな理由から不登校になりました。
周囲の大人からは「この子はつらい思いをしているのだろう」という憶測から気を遣わせてしまったものですが、当の本人は案外ケロっとしておりました。卒業するまで不登校でしたが、その後は「運良く」進学のタイミングで楽しい学校生活に戻ることができました。
何らかの病理を抱えていたんじゃないかとふと自分で疑うことはありました。しかし、普通に社会人として普通に働いている今となってようやく分かってきたことがあります「普通の人が楽しめるようなことが、あまり楽しめない性格だったのかも」ということぐらいですかね。これはもう生まれついての性格なんですよ。社会人になっても、自己啓発本やセミナーに出ても、すぐに治るものではないと思います。
どんより暗く雨が鬱陶しく降っている日に、なぜ仕事に行かなければならないのだろうと未だに思います。なんとなく朝起きて眠くてダルい時になぜ仕事に行かなければいけないのだろうと。
ただ、そういう日に職場について周りを見渡すと、みんなそういう顔をしているんです。オフィスでもみんな気だるそうに、眠そうに、働いています。みんなもどことなくだるそうなので、自分もシャキシャキしていなくてもいいわけです。コーヒーをのんびり飲みつつ、誰とも喋らず、黙々と仕事を片付けて「お疲れ様でした」と定時になればそそくさと帰るだけです。サラリーマンとして働いてはいるとはいえ、やっていることは洞穴で寝ているクマと似たようなもんです。
その時に思いました。あぁ学校もこれぐらいゆるく過ごせる場所なら良かったのに・・・と。
子供の頃は、1日学校に行くことが、まるで、電信柱から次の電信柱まで、命綱のない綱渡りをさせられているかのようなひどい過緊張と恐怖の連続でした。それを1週間乗り切る勇気を渾身の気力でひねり出しても、1か月、6か月、1年と続くことを想像したとき、そこには果てしない絶望しかなかったのです。
社会人となった今も、学校に行きたくない子に伝えたいメッセージがあるとしたら、不登校を一つのあたりまえの選択肢として捉えても全く問題ないということですね。
ACジャパンがCMで「学校には行きたくなければ行かなくてもいい」と打ち出してもいい時代なんじゃないかとさえ思っています。それで救われる子供がどれだけ沢山いることか。私もあの時「学校行かなくてもいいよ」と誰かが言ってくれさえすれば、救われたと思います。
そして人とコミュニケーションを取るのが不安だけど事務の仕事がやりたい人におすすめな仕事はやはり「経理」です。
経理の仕事でも今時はコミュ力が必須というようなことをよく言われていますが、それは数字や知識を使って相手に言葉で適切な指示運営ができる能力というだけで、「話術」や「人柄」「印象」「見た目」を重視するようなコミュニケーション力というわけではないんです。
そして経理は慣れれば効率よく仕事ができ、まぁ会社によるところはあるとは思いますが、営業職などに比べて楽ができます。また他の人が楽しんでやっていることを、楽しくなさそうな顔をしていても許される雰囲気のようなものはあります。たとえばですが、くだらないことをくだらないと正直な感想を口にしても許される風土が、経理という仕事にはあるんです。素敵だと思いませんか。
ですから私の生まれついてのネガティブな性格(性格は自己啓発本を読んだりセミナーに行って一瞬で変わるものではありません。)や、不登校の経験なども、今やっている仕事と大きく関係しているのかな、とふと思ったりする今日この頃です。
お読みいただきありがとうございました。