どうモメンです。
久々の経理ネタについて。
NHKで就活のニュースで、すでに内定を貰っている学生が多い中、就活に出遅れた学生を大学のキャリアセンターがサポートしている様子が取材されていました。
そこで、自己PRのやり方など、サポートを受けている学生がインタビューを受けていて
「やらなければいけないことは頭では理解していたが、実際には思うように動けていませんでした」
というようなことを答えていたのが印象的でした。
この感覚じ、実は、めちゃくちゃ良く分かるんです。久々に思い出しました。就活に苦労したことを。
この学生に対して、私は厳しい言葉は一ミリも出てきません。
「君はたまたま就活苦手ガチャに当たっただけ」なのだと、声をかけてあげたいです。
就活・・・それは心と体がバラバラになる苦行
この手のことが、ことごとくハマらない人間というのは、いるものです。
ある種のことに対して、「他の人よりも能力を発揮できる」ことが誰にもあったとして、それがたまたま就活にハマった時は、無敵でしょう。
ただ、当然人間にはその逆のパターンもあります。「ある種のことに対して、他の人よりも苦手で、上手くできない」ことを誰もが持っています。これがたまたま就活にハマってしまった時はどうなるのでしょうか?
普通の人が「10をエネルギーをつぎ込めば及第点に行ける」ことに対して、「50もしくは100のエネルギーが必要」という大変不利な状況があります。
それが私にとっては就活だったのだろうと、今では思います。
今はそう思うだけで、当時は、「自分がこれまで生きてきた人生の中に、何か原因があったのではないか」と、因果を見出そうと必死でした。
そういうことを、文章に書いたり、自己分析をしたり、するわけです。
客観的事実として、当時は不況による極端な買い手市場だったため、最初から「勝ち目の無い闘いを強いられていた」側面がないわけではなく、そこまで苦しむ必要などきっとなかったはずなのですが、当時の立場としてはそれも理解した上で現実に対処するために、無謀な分析をするしかなかったのです。
内定がないまま季節が進み、崖っぷちのメンタルになり、どんどん追い込まれていきましたが、それもある段階まで行くと、ほぼ心が「停止」状態に追い込まれます。
それも、人間の反応としては無理のないことです。ここまで行くと、自分を責めることを避けることが難しくなるでしょう。となると、ほぼ鬱病予備軍まっしぐらです。
冒頭のインタビューの学生は、まだマシな方です。大学のキャリアセンターの方も学生の立場をよく理解して親身に寄り添ってくれそうな雰囲気でした。
私も自ら適切にヘルプを出すことができれば救われたかもしれませんがそういう器用さもなかったので。
内定がないまま卒業
私の場合、途中で就活を続けることができなくなりそのまま卒業を迎えてしまいました。
無職で数か月過ごした後、就職することができたのですが、その間どうやって過ごしてたかあまり記憶がないぐらいです。
ただ、頭がボーっとして何もできない日が続いたのを覚えています。
就職活動を続けるには、最低限は頭が働かないとできないことはあります。たとえば履歴書を書くことが、そうです。書き間違えないように、集中力が必要です。ただ、時としてそれが出来ないこともあります。本当に追い詰められていたのだと思います。
ある日、突然、再起動する
これは「はやぶさ」みたいなものだと思います。
はやぶさも、電池が尽きて、全停止状態で宇宙を漂ってた時期がありました。しかししばらく経つと、再び充電されて再起動して地球への帰還を果たすことができたのです。
人間にもそういう瞬間は訪れるものです。本当にある日突然です。
カミナリにでも打たれたように。ただしはやぶさが必然の再起動だったことに対して人間はもっとずっとランダムで、これという明確な因果というのはないと思います。
作家の村上春樹は、若い頃、ある日神宮球場で野球を見ていた時、誰かが凡打で出塁に成功して、疎らな拍手が観客席から起きたのを見た瞬間に、ふと、強烈なひらめきに襲われたらしいです。
「そうだ、自分にも小説が書けるかもしれない」
こうして村上春樹は小説家になったらしいのです。
このようなひらめきが、ある日、無職だった自分にも訪れました。
なぜかその日、カフェでコーヒーを飲みながら、外を歩いているサラリーマンを眺めていて、ふと思ったんです。
「あれ? 何かがおかしいな・・・」
何をどうおかしいと思ったのか、長々と書いてもいいのですがここでは省略させていただきます。
ただ、この日を境に、自己PRを考えたり、面接のシミュレーションをする作業も、なぜかスムーズに上手くできるようになったのです。何故かは、正確には自分でもわかりません。奮起してから最初に内定を貰うまで、1週間とかかりませんでした。
どん底まで落ち込んだ人間にしか与えられない「天啓」があるということなのかもしれません。
思うように動けなかった時期をどう解釈すればいいか
あくまで仮説ではあるんですが、そもそも働くのがすごく嫌だった可能性が高いですね。
それも、自分にはどうしようもないレベルの心の根幹の部分、いや、細胞レベル、もしくは遺伝子レベルの欲求が、体の動きを止めてしまっていたのかもしれません。それが「頭では分かっていても、動けない」現象の正体じゃないでしょうか。
ただ、そういう前提からスタートしても、案外何とかなるものなんです。
そこまで働くのが嫌な自分でもできそうな仕事は何だろうと考え、どんな職種なら、どんな業界であれば、そこまで苦痛を感じずに働けるだろうか、と考えて行けば、何らかの現実的な選択は見えてくるものなのです。
私の場合はきっと、「製造業の経理」がその答えだったのでしょう。
(それも、できれば二ッチな業界のBtoB企業の経理が良いと考えました)
新卒で製造業の経理は実際には狭き門だった
だから最後は、「経理が希望ですが、営業でもなんでもやります!やらせてください!」と言うしかなかったわけです笑
最初からそうしていれば良かったのかもしれませんが最初にそのことに気付くことは不可能というものです。
詳しくいうと、経理を希望する時点で、「あぁ、この子、営業やりたくないんだな」というのは見透かされます。ただそれを見透かされることは覚悟の上でさらに「何でもやります。営業でもやります。やらせてください」カードを切らざるを得ないということです笑
たとえそれを喋っている顔が恐ろしくひきつっていたとしても、あえてそれを言うということで評価してくれる人事担当者は必ずいるはずです。
実際に私は入社時は営業に配属されて、その後に経理に移りました。最初の1年だけですが営業の経験ができたことは結果として良かったと思います。
無い内定の就活生に伝えたいこと
何もかもが上手くいかなくなった時、とにかく無謀な分析や自己反省を続けるのだけはやめましょう。
内定が無いことに、どれだけ因果を探しても、たぶん意味がないのです。
誰かに相談することも、それが意味がある時もあれば、無い時もあるものです。場合によってはしないほうがいいこともあります。
「とはいえ、何かをやらなければ、何も変わらない、きっと変わりようがない」
と思うかもしれませんが、人間の無意識や潜在意識に関する本を読んでみると、どうもそうでもないらしいんです。
何もしていない間でさえ、無意識や潜在意識は動いています。「何も考えずにボーっとしていた」間でさえ、脳は活発に動いているのです。
そして、これらの無意識や潜在意識は、醸造を重ねるうちに、いつしかとてつもない「ひらめき」となる時が来ます。
村上春樹がぼーっと野球観戦をしていた時に「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」とひらめいたのと同じようなひらめきが降ってくることだってあります。
このようなひらめきは、現実を変える力があります。
ただし、そのような良質なひらめきは、就活疲れで無意識や潜在意識が死んでしまっている状態では、生まれないということです。
どうすれば無意識や潜在意識を働かせられるかということですが、それについては、好きな本を読むなり、映画を見るなり、好きなアニメや漫画を見るなりして、コツコツと内的世界を広げてヒントを探していきましょう。
つまるところは、本来の自分を取り戻すということです。最終的に自分を助けてくれるのは、本来の自分であるということです。
そして自分が辿った道を振り返って思うわけです、あれだけ働くのが嫌だった自分は、当初からなんとなくそう思っていた通りに、経理という仕事に落ち着いたんだなと。