どうモメンです。経理職をしております。
言葉学に趣味を多少持っております。方言も好きです。
最近、テレビを見ていてふと「外堀を埋める」という言葉に全く違う二つの意味があることにふと気付きました。
それも面白いことに、その言葉の指すところが、まったく相反する事象だということにも気付いてしまったのです。
まずは一般的なニュアンスから紹介しましょう。
外堀を埋める=周りから攻める(既成事実を積み上げる)
多くの方が想像するのは、また実際に使われているのは、こちらの意味でしょう。
確実に城を落とすには、いきなり本丸に切り込むのではなく堀を埋めていくのがセオリー
であると同時に、「婉曲であるさま」を表現した言葉だというニュアンスもあるかと思います。いきなり本題を突きつけず、相手の選択肢を奪っていくという、用意周到かつ婉曲な根回し工作みたいなことをやるというニュアンスです。
いかにもエグセクティブが好き好みそうな手法です。
しかし、テレビを見ていてとある大阪のお笑い芸人が、「外堀を埋められた」という言葉を口にしたのを聞いた時、この表現を全く別のニュアンスで使っていることに気付いたのです。
関西人は、外堀を埋められる=和睦を裏切る、(真正面から)宣戦布告するの意味で使っていた!
その関西の芸人は「外堀を埋める」という表現を、明らかにこのニュアンスで使っていました。信じていたのに外堀を埋めてきやがった!的な言い方でした。
前後の文脈から、「なるほど、そういう意味でも使えるんだ」とその時はすんなり消化したんですが、後になればなるほど、どうも頭がもやもやしてすっきりしませんでした。
そしてついに、驚くべきことに気付いたのです。この二つは、意味が真逆なんだ!ということです。
そしてこの言葉のニュアンスの違いは、「攻められた側(関西人)」と「攻めた側(関東人)」の違いによって生まれる双極性に起因するという驚くべき理由にも、気づきました。
だから関西人は「外堀を埋められた」と受け身のコンテクストでこの言葉を使うのです。関西人以外の人間は、「外堀を埋める」という能動の方のニュアンスで使うことはあっても、「外堀を埋められた」という受け身表現で、使う発想はほぼないのではないでしょうか?
なぜなら自分たちはどちらかというと埋めた側であって埋められたことがないからです笑
それでも大阪の人間にとっては、「外堀を埋められる」は、400年前の「大坂の陣」そのものを指しているわけであり、厳密には堀を埋めるに至る経緯(和睦を反故にする)がワンセットになっているのでしょう。
つまるところ、「外堀を埋める」は婉曲さなど1ミリもなく、それはただただ直球の裏切りの宣戦布告でしかなかったのです。
そのお笑い芸人も決してそこまで意識してこの言葉を口にしたわけではないのだと思いますが、新しい発見ができました。
このように言葉の表現の中に歴史が生きているということは、非常に興味深いことだと思いました。
お笑いと言語は非常に興味深い分野ですね。